今日の話は主イエスが五千人に食べ物を与えるという内容です。この話は、4つの福音書すべてに載っています。
群衆は主イエスがなさった癒しの奇跡に関心を持ち、主イエスを追って、ガリラヤまで来ました。丁度、過越祭の時期でした。神様の強い御手によって、イスラエルの民がエジプトでの苦難からモーセに率いられて救い出されたことを思い出させる時期です。
主イエスは目を上げて群衆を見て、フィリポに、この人たちに食べさせるにはどこでパンを買えばよいだろうか、と尋ねます。フィリポは、二百デナリオン分(200日分の給料に相当)のパンでは足りないでしょう、と答えます。そこにアンデレが大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年を連れて来ます。男だけで五千人の人に五つのパンと二匹の魚では、足りないことは明らかです。しかし、神様に出来ないことはないのです。
主イエスは人々を座らせ、パンを取り感謝の祈りを唱えてから、人々に分け与えられました。主イエスは、時間と空間を超えて存在される方です。ですから、瞬時に5000人の人にパンと魚を配ることができたのでしょう。このことは、昔、荒れ野で神様が与えたマナを思い出させます。
主イエスは、人々が満腹したことを見届けて、弟子たちに「少しも無駄にならないように」パンのくずを集めるように指示します。この無駄にならないと訳されている言葉、απολλυμι(アポリューミ)は、3章16節の、独り子を信じる者が一人も「滅びないで」と訳されている言葉と同じです。
主イエスは弟子たちを通して、一人も救いから漏れないようにしてくださるのです。
人々は、主イエスを王としようとします。パンを与えてくれる王、望むように支配してくれる王です。
しかし、主イエスの王国は違うのです。主イエスが与えるパン、すなわち、主イエスを信じることは、食べてもなくならない食物、永遠の命に至る食物なのです。