今日の聖書箇所は、父なる神様-御父-から与えられた奥義について述べています。主イエスは、
子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする。
と述べられ、御父のなさるとおりにしてきたのだと言われるのです。
ベトザタでの癒しが行われたのは安息日でした。主イエスは
わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。
と言われました。神は律法に縛られません。ですから主イエスも律法に縛られず、癒したいときに癒されるのです。
奥義の第一は「命」です。御父は主イエスに、命を与えるという権能を授けられました。主イエスは、命を与える権能を行使される、神と等しい方なのです。
奥義の第二は、「裁き」です。御父は、裁きの権能も、子である主イエスに委ねられたのです。それは、すべての人が、父なる神様を礼拝するように、主イエスを礼拝するようになるためなのです。
主イエスの言葉を聞いて、その言葉が神様の言葉であると信じる者は、永遠の命を得て裁かれることが無いのです。25節に「死んだ者」という表現がありますが、これは、霊的に魂が死んでいる人のことを指しています。主イエスの言葉を聞いて信じる者は、死から命の世界に全身丸ごと移されているのです。
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
また、裁きの権能についても次のように言われます。
また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
「人の子」とは、本来この世の終わり、終末に神の最終審判を信仰する人物のことです。主イエスは「全知全能の神」、すなわち、命の与え主であると同時に裁きをされる方です。十字架で死んで後、復活されて父なる神様のもとに昇り、再び終末に審判者として来られるのです。主イエスは常に御父に従順に歩まれました。御子の権威は、このことによって与えられたのです。主イエスに信頼し、歩ませて頂きましょう。