「だからわたしも働くのだ。」ヨハネによる福音書 5:9b-18 2026年9月6日
ユダヤ教の権力者たちは、安息日に床を担ぐことは労働であり、律法を破るものであると非難します。彼らの詰問に対し、いやされた人は、自分をいやした方が、『床を担いで歩きなさい』と言ったと責任を転嫁して答えます。彼らは、そう言ったのは誰だと追及します。しかし、主イエスは立ち去っており、いやされた人は、いやしてくださった方が誰だか分からなかったのです。主イエスは、彼を神殿の境内で捜して言われます。
あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。
主イエスは、あなたは良くなったのだ、私があなたを選んでいやしたのだと言われます。この人はこれまで病のいやしを、水が動くことに求めて、真のいやし主が神様だということが分からなかったのです。彼の的外れな求め方に対して、「神以外のものに頼らないで、私の恵みの中に立ち続けてなさい。」と主イエスは語り掛けたのです。
この人は自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせます。この言葉から、彼の主イエスの恵みに立ち続けて行こう、という気持ちを感じます。しかし彼らは、イエスが床を担いで歩くように命じたことでイエスを迫害しようとします。
主イエスは彼らの前に現れ、
わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。
と宣言されます。彼らは主イエスの言葉を聞いて、「これは、自分を神と一つにする、神を冒瀆する言葉だ。十戒を破るものであり、許すことはできない。」と考えたのです。このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
神様を父と呼ぶことは、主イエスと神様の関係を明らかにするものです。主イエスは父なる神に、常に従順でした。しかし、ユダヤ人たちは、自分を神と等しいとする男を取り除くことが、律法の神聖さを保つと言う義務感から、主イエスを殺そうとしました。彼らを殺人へと追いやったのは、安息日を破ったことだけでなく、むしろ、主イエスが自分を神と等しいとしたことなのです。
主イエスは、十字架上で御自身を献げ、神様の愛を、神様への従順を、命を懸けて示されました。
主イエスは、今も、働いて私たちを招いてくださっています。