さあ、見に来てください。

聖書箇所:ヨハネによる福音書4章27節~34節

 前回の最後のところで、サマリアの女性はメシアの到来を信じていることを表明します。主イエスは、それを聞き、ご自身がキリストであることを明らかにされました。そこへ、町へ食べ物を買っていた弟子たちが、戻ってきました。彼らは、主イエスとサマリア人の女性が話している様子に驚きました。しかし、話の雰囲気がとても重要な内容であることを察し、何も言えませんでした。それを裏付けるように、女性は水がめを置いて町に出て行き、人々に

「さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。この方がメシアかもしれません。」

と言い広めます。人々の目から逃れるために、昼間、人のいない時間帯に水を汲みに来ていた女性が、「私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。」と言って、人々に主イエスを紹介していきます。

彼女がそのようなことができたのは、主イエスとの出会いが、自分の隠したいこととは比べられないほど、強烈だったからでしょう。人々は、女性の必死の呼びかけに心動かされ、主イエスの元に向かいました。

11時2分、長崎原爆の日を覚えて、黙祷の時間を持ちました。

弟子たちは主イエスに食べ物を勧めます。すると主イエスは、

「私にはあなたがたの知らない食べ物がある。」

と、人を本当に生かす食物の話へ転換させます。

「あなたがたの知らない食べ物」について主イエスは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである、と言われます。

その食べ物は、第一に「私をお遣わしになった方の御心を行うこと」です。

父なる神様の御心とは、主イエスに与えられた人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることなのです。(ヨハネ6章)

さらに、その食べ物は、「その業を成し遂げることである。」なのです。

「業を成し遂げる」について、19章の十字架の記述の中に「すべてのことが今や成し遂げられた」、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた「

とあり、主イエスが成し遂げようとした業とは、十字架上で死ぬことだったのです。過越祭の昼頃、主イエスは十字架上でご自身を死に渡されました。これが、「あなたがたの知らない食べ物」の正体だったのです。

どうしてそこまで神様は私たち人間を愛して下さるのでしょうか。

それは、人間が神にかたどって創造されたからなのです。人間は、神様と交わるために、共に歩むように創造されたのです。

神様は、私たちが神様を信じて生きるように求めて、招いておられます。