ユダヤ人の不信仰

聖書箇所:ヨハネによる福音書 5:41-47 

先週の箇所は、主イエスについての証しでした。証言の第一は洗礼者ヨハネ、第二は父なる神様が与えられた業、第三は神ご自身、第四は聖書でした。今日の箇所は、主イエスを受け入れる、言い換えれば、信じるとはどういうことなのかを述べています。最初に、信じることが出来ないとしたら、妨げているものは何なのかを述べ、次に、信じないとはどういうことか、信じないとどうなってしまうのかを明らかにし、結びに、信じるためにはどうしたら良いかを語ります。

信じることを妨げているのは、お互いからの誉れを求め、唯一の神様からの誉れを求めないことです。父なる神様の御心に従い通した主イエスを見つめながら、歩むことが求められているのです。

信じないとは、神様への愛が無いことです。お互いの栄誉を求めあうことは、自分の知恵や力を誇ることにつながり、それはアダムが犯した罪-自分が神のようになろうとした-と同じことなのです。自分の誉れを求め、人からの評判を気にする、私たちにも向けて語られている言葉だと思います。

主イエスを受け入れない、信じない人は、父なる神様に訴えられるのです。それも、訴えるのは主イエスではなく、モーセなのです。なぜなら、「モーセは、わたしについて書いているからである。」申命記18章15節には次のように記されています。

あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。

主イエスを信じないと言うことは、神様を信じないと言うことなのです。それでは、主イエスが神様から遣わされた独り子であることを信じるためにはどうしたら良いのでしょうか。それは、自分の知恵に頼らず、神様の恵み、聖霊なる神様の導きによって、聖書に書かれていること、主イエスが父なる神様から遣わされた独り子であることを信じることなのです。