神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。
聖句の中で、愛唱される聖句のことを、黄金の聖句と呼びます。
聖書は、旧約・新約合わせて66巻あり、章は全部で1189章、そして節は31173節あります。
その中でも、ヨハネ福音書3章16節は、愛唱される聖句の上位でしょう。
宗教改革者のルターはこの聖句を「福音のミニチュア」と言ったそうです。
この御言葉は、信仰を端的に言い表すと同時に、神様の愛に立ち帰る御言葉なのです。
私は、この御言葉に救われた思いを持っています。それは、妻の死と関係しています。妻は自死でした。私と妻は、学生時代から付き合っていました。大学を卒業して、教員になった私は、同僚に誘われて教会に行くようになり、洗礼を受け、その後、結婚し、翌年妻も受洗しました。
子育てを協力してやり遂げ、これから二人で一緒に老後を過ごそうと思っていた矢先、妻は精神を病んでしまいました。精神科に通ったのですが、症状は改善せず、毎日欠かさず弾いていたピアノに手を触れることさえしなくなったのです。いつの頃からか、「死にたい」と漏らすようになりました。私はその都度励ましていましたが、2月16日、妻は自ら命を絶っていました。
葬儀が終わっても、わたし自身生きる意味が見いだせないでいました。
寂しさと後悔の念から逃げるようにピアノ教室やフルート教室に通い、自分の努力で悲しみから逃れようとしていました。
7月11日の礼拝で、テモテへの手紙Ⅱ4章2節
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
という言葉が心に響き、牧師に相談したところ、東京神学大学への編入学を薦められました。
神様は、伝道者になる道を備えてくださったのです。
神様は、天地万物をお造りになりました。その中でも、人間を御自分にかたどって創造されました。神様は人間に、神様を信じて歩んでほしいと望んでおられるのです。
人は、生きる中で様々なことに出会います。どんな時も、神様は私たちを支え寄り添って下さるのです。神様御自身が、独り子をこの世にお与えになったほどに、痛むほどに愛してくださっているからです。